古典&連句の皆さまに

とよちゅさんから10月古典&連句の定例会にむけ、下記の通りmail添付資料が届いているとおもいます。

(一部mail引用)

いよいよ神無月を迎えて爽やかかといいますとかなり暑苦しい日々が続いておりますが

みなさまお元気でしょうか。当方は村祭りの諸事に追われてあまり十分な資料とは

言へませんがよろしくお収めください。今回は、気分変えて 平安中後期の「蜻蛉日記」

から「浮気の段」です。副読資料は徒然草の22段ですが参考までといたします。


開催日時: 10月19日(木)10時から 約2時間 

開催場所: みやけ 例によって予約が出来ませんので、開店10時にお集まりください。


昨日から気温が急低下し、体調管理が難しいですね。 

PCトラブルやその他もろもろ充分にご連絡が行き届いていないと思いますが、資料の配布状況を確認しますので、お手元に届いていない方がありましたらご連絡ください。

なお、みやけに連絡しましたところ、最近はおちついており受け入れ可能とのことです。


連句へは、かわせみさんからタイミング良くからくり人形の句を頂き、早速UPしています。

古典&連句はもとより最近の話題も加えご歓談ください。


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初折、折端まで
6
           ミサイルのごと時とび去りて・・・・・・・・・・・Hilo
7
        陽は落ちて荒田の上に大三角・・・・・・・・・・・・・・トヨチュウ
8
(月)        月いでてより消ゆる星々・・・・・・・・・・・・・かわせみ
9
        明けぬればさざなみ速し苗分けて・・・・・・・・・・・・はるか
10
           志賀の山並みマラソンが行く・・・・・・・・・・とよちゅう
11
(花)    ブランコの足元にみゆ二期桜・・・・・・・・・・・・・・クレチャン
12
(折端)       燕の雛もつとに巣立ちて・・・・・・・・・・・・かわせみ
 

名残
(表)
1  
鈴懸に陽炎(かげろう)揺らぎ溶けるビル・・・・・・・トヨチュウ
2       裏返しの蝉パッと飛び立ち・・・・・・・・・クレチャン

3
   立秋に意気揚々ととんぼ舞い・・・・・・・・・・・・・はるか
4      毀れやすきもの70年を過ぐ・・・・・・・・・クレチャン 
5  カネタタキ祭り太鼓に気押されて・・・・・・・・・・・トヨチュウ
6       紅葉をかざすからくり人形・・・・・・・・・・かわせみ
7
8
9
10
11(月)
12
            
名残
(裏)
1
        
2
            
3
         
4
              
5
(花)
        
挙句
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古典&連句のみなさま:この九月のオフ会は定位置の「みやけ」にて開催されました。
出席は、とよちゅうからひだり回りでピギーさん、みるくさん、ヒロさん、くれちゃん、skmさん、
はるかさん、やまちゃん の8名でした。今回は、連句の投稿数が一つでしたので短時間で終わりました。古典の部では、徒然草の14段で作者の生きた時代の歌は、往昔(古今時代)に比してことごとに情趣の欠けた表現の歌がおおくなったと作者はいいます。これは、いつの時代でも 同時代についての自己批判ではありますが、確かに 古今集は平成の現代にいたる長い日本の美学の源流となったものと考えられます。たとへば、「花札」のテーマの「花と動物のセット」さへ その源流は古今集の花鳥風月に源流があり12か月を表しているのです。西洋のトランプと比較してみてください。文学が日本人の生活に密接に結びついているのがわかります。百人一首に至っては世界に誇れる庶民文化です。
次に宇治拾遺物語から「稚児のそら寝」を やまちゃんの名解釈で読みました。この物語の成立は平安末期の院政時代のものですが、扱われている題材には現代にも当てはまるものがあって、しかも、今回は幼い稚児の大人びた「行い」だけに大変共感するところが多いと思います。(とよちゅう)

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古典&連句の皆様、ようやく灼熱の夏が終わり秋がゆっくりと進みつつあります。
先にとよちゅうさんが連句のcomment欄に案内を入れていただきましたので、引用させていただき、ご案内を差し上げます。

日時:9月21日(第3木曜日)午前10時からほぼ正午まで
場所:みやけ  変更あり、ご注意ください。

みやけは予約ができないため、午前10時開店時にお越しください。

定例会後の食事は、茶房テンを予定しております。 
定例会の内容は下記のとよちゅうさんcommentをご確認ください。

Commented by toyochu at 2017-09-12 22:16 x  *引用内容を変更しています。
しじゅうから古典&連句のみなさま:ほぼ60日間のご無沙汰でしたが皆さまご健勝にて猛暑を克服された由大慶に存じます。
古典欄にログインできずで本欄にて連絡いたします。
今月のオフ会は、先回に引き続いて下記の会場にて開催いたします。よろしくご出席くださいますよう。
とき:9月21日(木)10:00 ~ 正午
ところ:「みやけ」に変更します。
古典の部は徒然草の第14段を予定。
昼食は茶房てんにて。

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開催場所が変更になりました。
新しく出来たジュリアンパイジャパンの明るい雰囲気のなか、落ち着いて12時半までのんびり出来ました。
みやけさんが夏本番で混んでいますから、場所を変えて気分も一新ですね。

日時  7月20日(木曜日) 10:00 ~ 正午半まで

場所  ジュリアンパイ・ジャパン (鳥見通り東進、茶房てん を通過約200m 左側)

     

添付資料のテーマは、更級日記の29~30段(原文)です。

当日、やまちゃんに準備いただいた資料も配布していただき、とてもわかり安く解説をして頂きました。

特に歴史的に重要な資料として次の部分があります。 更級日記に 源氏の五十餘巻” 云々の部分があり、すでに源氏物語がほぼ完成していた重要な証拠とみられるからです。 
この点も含め、ヤマチャンから更級日記の成り立ちの詳細を詳しく解説して頂きました。 

============

しじゅうから [古典の会資料  H29- 7]

===========更級日記=======  寛仁四年(1020)

  第二十九―三十段 << 物語 >>   (作者十三歳頃~十七歳頃)

かくのみ思くんじ(屈す)たるを、心も なぐさめむと、心苦しがりて、母、物 がたりなどもとめて見せ給ふに、げに をのづからなぐさみゆく。      傍線= 源氏物語

紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人かたらひなどもえせず。

たれもいまだ都なれぬ ほどにて、え見つけず。いみじく心も となく、ゆかしくおぼゆるままに、「この 源氏の物語一の巻よりして 皆見せ給へ」と心の内に祈る。

親の 太秦(うずまさ)にこもり給へるにも、異事 なく、この事を申して、出むままに この物語見はてむと思へど、見えず。

いと口惜しく思なげかるるに、 をばなる人の田舎よりのぼりたる 所に渡いたれば「いとうつくしう、生ひなりにけり」など、あはれがり、 愛づらしがりて、かへるに、「何をか奉らむ、まめまめしき物は、まさなかりなむ、ゆかしくし給ふなるものを奉らむ」とて、源氏の五十餘巻、櫃にいりながら、↓伊勢物語を指す ↓不明の作品群で現代に伝わらず隠滅した

[]中将、とをぎみ、 せり河、しらら、あさうづなどいふ物語ども、ひと袋とりいれて得て かへる心地のうれしさぞいみじきや。

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心が逸っていて (今まで)片鱗だけ読んできたので

はしるはしる、わづかに見つつ、心もえず 心もとなく思ふ「源氏」を一の巻よりして 人もまじらず、

几帳の内にう ちふしてひきいでつつ見る心地、后[きさき]の位も何にかはせむ。

昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり、火をちかくともして、これを見るよりほかの事なければ、をのづから などは、空に覚え浮かぶを、いみ じきことに思ふに、夢にいときよげ なる僧の、黄なる地のけさ着たるがきて、「法華経五巻を疾くならへ」と いふと見れど、人にもかたらず、なら はむとも思ひかけず、物がたりの事をのみ 心にしめて、われはこのごろわろき ぞかし、さかりにならば、かたちもかぎり なくよく、かみもいみじくながくなりなむ。

ひかるの源氏のゆふがほ、 宇治の大将のうき舟の女君のや うにこそあらめと思ける心、まづいとはかなくあさまし。


菅原孝標(たかすえ)の娘。頭書写真は千葉・市原市、五井駅前にある作者像 [2008年の生誕千年祭で建立]

道真の六代孫にあたる。母は藤原倫寧(みちやす)の娘。歌人の長能は母方の伯父、藤原道綱母は母方の伯母である。兄に文章博士定義・安楽寺別当基円がいる。橘俊通との間に仲俊らを生む。

後一条天皇の寛仁元年(1017)、十一歳の時、父が上総介[副知事]となり、任国に同行する。上総国では物語を愛読し、等身の薬師仏を作って、京へのぼり各種の物語が読めるように祈ったという。同四年暮、帰京を果すが、以後父は官途に恵まれず、一家は不如意な生活が続いた。治安元年(1021)、十四歳の時、おばから念願の源氏物語全巻をもらい、「后の位も何にかはせむ」と愛読

万寿元年(1024)、姉が死に、以後二人の遺児を世話する。未婚のまま二十代を過ごし、長暦三年(1039)頃、後朱雀天皇第三皇女祐子内親王家に宮仕えを始める。しばらく後、橘俊通の妻となる。長久二年(1041)夫は下野守となるが、上京、同年秋に発病し、十月に亡くなった。この時孝標女は五十一歳。以後は不詳。

< 月も出いでで闇に暮れたる姨捨になにとて今宵たづね来つらむ

【通釈】我が家はまるで、月も出ずに暮れてしまい、闇に包まれた姨捨山のよう。そんな叔母の家に、またどうして今夜訪ねて来てくれたのでしょうね。

※この家の女房に「紀伊」あり、同女の歌「音に聞く高師の浜の仇波はかけじや袖のぬれもこそすれ

一首の略意は、「浮気で有名な貴男の出される仇波には引っかかりませんよ。さもければ、私の袖は涙でぬれてしまうに違いありません。(藤原俊忠(定家の父)の歌に対する返歌)

END


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